〜鴎外記念本郷図書館

 お次はバスに乗り、目指すは森鴎外の自宅跡。正式には鴎外記念・本郷図書館といいます。当時は別名「観潮楼」と呼ばれていました。団子坂(「坊ちゃん」の中に登場)の途中にその建物はあるのでした。ここでは観潮楼歌会が開かれていたわけです。その会はどのような会か?
 それは、与謝野鉄幹の「新詩社」系と正岡子規の「根岸」派歌壇の対立があり、それを見かねた鴎外が両派の融和策として、それぞれの代表歌人を「観潮楼」と名づけた自宅に招いて歌会を催したのです。歌会は明治40年(1907)3月から毎月一回、第一土曜日の夕方から夜にかけて定期的に行われ同43年6月頃までに及んだといいます。当初 は両派の領袖、与謝野鉄幹伊藤左千夫などの少数であったが、次第に「新詩社」系 の北原白秋吉井勇石川啄木・木下杢太郎、「根岸」派の斎藤茂吉・古泉千樫 らの新進歌人が加わり、主人の鴎外を中心に熱心な論議を交わしたそうです。
 この図書館には中庭があり、そこには沙羅の木と人が腰かけられそうな石があります。この石を「三人冗語の石」といいます。明治29年に「めざまし草」が創刊されました。鴎外はその中に、齋藤緑雨、幸田露伴とともに「三人冗語」という新作合評コーナーを創りました。その三人が揃って写っている写真があります。その時鴎外が腰掛けていたのが「三人冗語の石」です。ちなみに、三人冗語のコーナーで絶賛を浴びて文壇に登場したのが樋口一葉でした。
 様々な資料を見て、ハナ肇のような鴎外の胸像にチョップをかまして図書館を後にする俺でした・・・