よくない事って微弱であっても、連続するから嫌だ

 最近躁鬱が激しくて、疲れます。今日は嫌なことが一個あって、それが引き金になって雪崩式ブレーンバスター・・・まあ、嫌なことがあったから、その後に起こったこともより強調された嫌に感じただけだろうけれど、それでも俺がブルーになったのは事実。まあ、吐き出してしまえばですね、引き金になった嫌なことはすごく腹立たしい対応をされたのですよ、大家に。まあ、それ以前に今日の一日が微妙で、気分は沈み気味だったのです。ようするに怠惰になんとなく寝て過ごしてた。もっともそれも予定がキャンセルになったからですが。で、大家の一件があって1凹み。その後、まあ少しここでは言いたくない心の動きがあって、2凹み。で、PCを新しくしたら、不具合が起きて3凹み。

 嫌なことが連続すると、その後は色々滲み出してきて、俺液状化現象。ああ、なぜに惑うのか。自分の目標へ向かい歩んでいるはずなのに、立ち止まってしまう。漠然とした不安。根本的に人間が好きだから嫌いなのだ。「好き」(愛情・友情・親近感すべて)な人間に裏切られることがどれだけ俺の心を崩壊させるか。冷静に自己判断してしまえば、俺は強靭な人間だと他人から認識されやすいけれど、むしろ「狂人」なのだ。この文章は倒錯しているな。敬体と常体の区別もない。言葉選びも適当。それは、自分の精神状態のせいであり、空腹だというあまりに単純でお気楽な事実のせいかも知れない。
 「恋」でもしたほうがいいのか?人を好きになる。怖い。裏切りが見えてしまう。もちろん、恋が成就しないときに失われるエナジーを考えてもだ。いつのまにかペシミストになっていた自分。最近の自分は「恋」らしきものが萌芽しても、その対象がすでに恋人がいたりする。もっとも、その萌芽は非常に微弱で、時に友情的であり時に欲情的だ。漠然とした苛立ちと不安。「漠然」では、大泣きも出来ず、具体的な対処法が見つからない。
 なんなんだろう、ようするに俺は「幸せ」を探しているのか?そんなにも不安定なものを。でも、人間は「幸せ」に対して安定を求めてしまう。不安定なものに安定を見る。滑稽そのもの。大学時代に帰りたい。最近、よくそう思う。えてして「幸せ」という状態は「無知」に酷似しているかもしれない。何もわからず、無邪気に、なんとなく日々を過ごすことへ不安を感じないこと。孤独を知らず、生活苦を知らず、不条理を知らず、自分を知らず。「無知」こそ自分が求める「幸せ」だったのか?俺のような精神の弱いものは、実家にでも帰って、家族と暮らし、見合いでもして結婚し、平凡に日々を精一杯に生きるのが向いているのか?反吐が出る。
 もういいや、とにかくまた一週間を耐えるしかない。明日が仕事ということもあるのだろう。この、無意味な不安と苛立ち。無条件に信用できて甘えられるものが欲しい。そんな類のわがままでしかないということは知っているのだから。この狂人のような、狂人ぶった、ペシミストの日記を読んだ人にはお詫び申し上げたい。無駄な時間を取らせた、と。でも、それでも俺は未だブルーで、ふらつきながら夜を歩いているのです。