蠢春(しゅんしゅん)

 私の田舎は海沿いだけれど、山もある。食べ物は本当に美味いところだと思う。東京に来て、なおさらそう思う。貧乏生活しているから、SHOP99で1000円分買って、一週間をやり過ごす日々。おそらく一ヶ月の食費は15000円程度だろう。一人身だし、運動しなくなってからは量も食えなくなった。学生時代に三合飯を三品ほどのおかず(缶詰とか梅干だった気がする)で、テレビを見ながら食べていたらなくなっていたのを思い出すと信じられないのだけれど。大学入学当時から比べて体重も15キロ落ちた。それでも標準体重以上だからすごい。まあ、筋肉だと信じているけど。とまあ、仕事の疲れを撥ね退けながら出来る限り飯は自炊にしている。
 実家から春の贈り物が届く。たらの芽と筍。どちらも春がもたらす生命の縮図。早速家へ礼の電話をしてから、料理に取り掛かる。やはりたらの芽は天麩羅に限る。筍は柔らかい部分を筍御飯に、硬い部分は味噌汁(地物のワカメと一緒に)だ。一人暮らしも6年目、手馴れた男やもめの包丁捌き。たらの芽も筍も、春と野山の香りがする。包丁の刃を入れればさらに強い香りが鼻へ届く。胃が悲鳴を上げ始める。
 炊き上がった飯と味噌汁。見た目にもからりと揚がった天麩羅。その日の食卓だけはいつもとは違って生命が蠢いていた。先ずは味噌汁。筍のダシが出て、ワカメの磯の香りと混じっている。実は味噌も地味噌なのだ。その味噌汁茶碗は私の地元を箱庭にしたものと同様であった。筍御飯は淡い味付けが上手くいった。筍の渋みと甘み。醤油とだし汁で出来たおこげ。ごま塩をさっとふりかけて食べる。おかずはたらの芽の天麩羅。汁に揚げたての天麩羅を入れる。幽かに「じゅぅ」という音がする。口の中に運べば、ほっくりと丁度よく火が通ったたらの芽が外側の衣と交じり合う。今度はたらの芽の渋みと甘みを味わう。
 全ての器が空になる頃には、私の瞳は薄っすらと湿っている。そこにある春の活き活きとした生命の動き。そして故郷の春の暖かさ。それに比べて今の私はなんだ。春の光の中で孤独なる身を蠢動させているだけではないか。何がしたいのだ?貴様には今眼前にある偽りの春だけが見えて、絶望に浸っているのではないか?その声の主は、私の腹の中で蠢いている。そうだ、私は次なる春、繰り返される先々の春のことを考えねばならないはずだ。そう自分に言い聞かせながら、器を流しへと運ぶ。洗濯物がそろそろ終わっている頃だと気がつき、サンダルを引っ掛けドアを開け放った。